セルフヘルプ・グループとの関係

現在の日本で、大麻事犯の軽減を求めていくには、どういった落としどころがあるのかを最近考えている。

単純に「大麻は素晴らしい!大麻を合法に」と言うのは簡単だけれども、これを実現するのは誰もが分かっているように、とても難しい。
もちろん、最終的には大麻事犯というものそのものの無効性を唱えなければならないのだけれども、そこに至る道標として何がありえるのか?

米国でも争点になっているように、大麻の医療使用を求めていくというのは、一つの有効な戦略だけれども、それだけでは医療使用が認められたから、それでOKでしょ?ということにもなりかねないわけで、その隘路をどう突破するかということは、念頭においてあったほうが良い。

もう一つの筋道としては、米国的なドラッグ・コート制への転換を求めていくというのも、ありかもしれない。(ただしドラッグ・コートはハームリダクション政策とは異なって、ドラッグ使用者に対する寛容な政策というわけではないので微妙なところもありそうだが・・)

ドラッグ・コートとは、大雑把に言えば、ドラッグ使用者に対して厳罰を科する代わりに、強制的な治療措置を求める制度だが、これは日本の学会組織においても、最近注目されているという点を考えれば、ある程度有効な戦術ともいえる。

近年の刑務所過収容問題や、「累犯障害者」問題の文脈で、いかにドラッグ使用者を再包摂していくか、という課題が問われはじめていて、例えば今年度の犯罪社会学会(於:龍谷大学)でも以下のようなシンポジウムが予定されている。
http://hansha.daishodai.ac.jp/meeting/index.html

カンナビストの主張は、言うまでもなくダルクなどのセルフヘルプ・グループの目的とは大きくズレている。というか反感を買うことは間違いない。
ダルクの公開例会には何度か足を運んだことがあるが、大麻使用は典型的なゲートウェイ薬物として語られ、その他の薬物に関しては、明らかにダメ絶対である。

要するに、現在の日本で、ドラッグ使用者の再包摂を考えるといっても、これは既成「事実」であるドラッグ=悪(病理)の図式が崩されるわけではなく、むしろ、そうした枠組みをなんとか保ったまま、ドラッグ使用を、社会の周縁部位に置き続けることが志向されているに過ぎない。

とはいえ、こうした流れがある以上、カンナビストとしてはダルクなどがいう、厳罰よりも治療をという耳辺りのよいスローガンに、ある程度は乗っかっていかなければならないのかもしれない。

大麻使用者にそもそも「治療」が必要なのか、という点はさておいて、少なくとも、大麻使用者=悪人という図式から、大麻使用者=病人という図式へとズレていってくれたほうが、まだしもましであることは間違いない。

こうした流れを意識しつつ、しかし完全には乗り切らないで、「大麻使用者」というカテゴリーの置き方そのものに異議を唱えていくということは、困難だが必要なステップではないかなと。