安部以後

突如、安部首相が辞任しましたが、ここに至るまでの政治的経緯と、今後の展望はどうなっているのでしょうか。
特に大麻問題にひきつけて(あるいはドラッグ問題)考えてみようかと思います。

とりあえず何故、ここになって自民党が弱くなったか、安部が辞任したかについては書き出すと馬鹿長くなりそうなので、今回はネオリベネオコンの問題について書いてみることにします。

いわゆるネオリベ新自由主義)とネオコン新保守主義)は相反するものにみえて、実はワンセットのものです。
ネオリベ市場原理主義・競争原理のもとに、金融緩和や、社会保障支出の低減、多国籍企業に対する優遇政策を行うということは、とりもなおさず、高度資本主義の今日において、その社会に属する多くのメンバー(特に中間階層以下の)にとっては、経済的な不安定感を抱かせることにつながります。
日本においては、小泉が典型的にこのタイプの政策を実行し、障害者自立支援法の成立や、WEの導入を示してきたわけですが、実は現在の日本は、世界的にみても、最も進んだネオリベ国家であるということもできます。
例えばGNPに占める社会保障支出の割合は、ほとんどの先進諸国において、5~15%程度ですが、日本においてはわずか3%にすぎない。
これはアメリカ以下の数値で、ドイツやフランスと比較しても3分の1程度、しかも日本の社会保障支出の大半は、老齢年金であり、一般の医療保障や障害者に対する給付は、とても先進国の水準にあるとはいえないものです。

これは、90年代まで、日本の社会保障はその多くを、組合や企業年金によって担保してきたからで、いわゆる「コーポラティズム型」の福祉国家だったわけですが、今日、そうした組織は半壊し、その穴埋めが全くなされていないことによります。

こうした状況で、世論に受けるのが、例えば対外強硬発言であったり、「強い国・美しい国」を言い立てるモラリストの発言だといわれています。
対外的にはナショナリズムを煽ることによって、対内的には、福祉の「フリーライダー」を批判したり、NEET批判をするなど、いわば、一般市民の「外部」を指定し、不安感をそうしたイメージでもって代替しようとする、典型的なネオコンサバティブの政策。
これはブッシュにおいても、サルコジにおいても、小泉・安部においてもそうですが、ネオリベ政策とネオコン政策は一体のものだといっていいと思います。

ここにおいて、アメリカで標的にされてきたものの一つに、「ドラッグ使用者」というカテゴリーがあり、これを一種の「悪魔」として描く政策が、90年代以降のWar on Drug政策でした。
大麻課税法が成立したのは、1930年代、大恐慌時代のアメリカでしたが、「善良なアメリカ市民」に対置されたメキシコ移民がヘンプ・カルチャーをもっていたことから、メディア等で、マリファナ・バッシングが加熱したことを忘れてはならないでしょう。

従って、右派ネオリベ政権にとって、「ドラッグ使用者」や、そのほかの犯罪者は格好の標的になりがちであり、犯罪に対する断固決然とした発言が往々にしてなされてきたわけです。
ここにおいて、前科者やドラッグ使用者の更正・再包摂は、ほぼ考えられておらず、刑務所は満杯になり、民間委託のPFI刑務所が大量につくられ、官−民の癒着構造が、刑務所産業においても起こってきたのが、現在のアメリカであり、いま日本が進もうとしている道であったといえるでしょう。

こう考えると、実はマリファナの問題とは、決定的に政治的問題であり、大麻単独の問題ではなく、ドラッグ政策全般の課題なのだといえるわけで、マリファナが有害/無害なのかといった論争ではなく、むしろドラッグ使用者全般に対して、排除/包摂のどちらを政策としてとりますか、といった論争から、大麻の容認がなされる可能性もあると考えています。
実際、イギリスでは、ドラッグ政策全般の問題から、ヘロイン依存者への医療提供という大転換を通して、大麻が非犯罪化されたという経緯があり、自民−米国共和党というネオリベネオコン政権が落ちかかっている現在、日本においても、ハームリダクションなどの政策を真剣に考えていかなくてはならないでしょう。